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山のハイカー

aiko's story

01. 幼少期

人見知りながらもお友だちは沢山、幼稚園大好き。
自然の中で伸び伸び育つ٩(ˊᗜˋ*)و 草花木や虫や魚もみんなお友だち。
好奇心旺盛、天真爛漫、歌うこと&おしゃべり大好き女児♥(≧◡≦)の傍ら、外では結構大人しい子ども。

昔話や絵本、世界名作アニメ劇場を好んで観ていた。
兄、従兄弟など周囲に男の子が多かったせいか遊びの幅もかなり広く、見てる側からは危なっかしいおてんば娘(;'∀')
何をするにも一生懸命、負けず嫌い&頑張り屋さん気質であり、幼いながらも場の空気を鋭く感じる子ども。

​幼少期から祖父母や父母にくっついて出歩き、あらゆる大人社会や人間模様を今となれば敏感に観察していたのだと感じる。

02. 小学生~高校生時代

女子に限らず男子とも仲良し!上級生からもなぜか特別可愛がられ、何もしていなくても何故か目立ってしまうタイプの子ども。

小学校3年生の担任不在・自主学習の時、クラスのボス的な女子が「なんか面白いことないかな〜、そうだ!aikoいじめて遊ぼう!」の一言から小3~小6でいじめにあう。(←後日全員にTELして確認したところ、ある一人の女子からそのことを聞く)一旦、自分へのいじめがなくなったと思っても、いじめられている子を助ければまた自分が標的になるという悪循環、、、体育館の裏に呼び出され、クラスの女子6名ほどを除いた全員の女子から「男子とイチャイチャしてるのがむかつく、この世から消えてくれない?死んで!」と言われたり(自分が標的になりたくないが故に言わされていた子もいたが)、自転車のサドルに画鋲が刺さっていたり、本当に色々なことがあった。。。


しかし、根っからの負けず嫌いな性格!その子たちの前では泣くもんか!とヘコ垂れず一人でも立ち向かう強気な子どもだったこともあり、泣かないとそれはそれで相手は面白くないため更に攻撃はエスカレート。

おまけに担任の先生にも恵まれず、、しかし、保健室や図書室に理解してくれている先生の存在はあった。

が!!小学校5年生の頃に突如、移動してきた校長先生という「救世主」が現れ、いじめは表面的に少し落ち着く。

私の場合、外では強気でいても、家では泣きながら母にあったことを全てではないがほとんど話していた。

そして、学校を時々休むこともありながら(時に仮病も使うこともありながら、母とのバトルもありながら(..;))も無事小学校を卒業し、地元の公立中学校へ進学。

小学生の同級生は、ほぼ地元の公立中学校へ進学。

小学生の頃からずっと入りたいと決めていた部活があったが例の集団女子たちがその部活に入部するとわかり、本当は入りたかった部活も泣く泣く諦め、違う部活へ入部する(選択というより我慢して諦めた結果)。

中学3年生の秋、ある出来事を目の当たりにしたことをきっかけに、いじめられていた頃のリアル感情がフラッシュバックする。ずっと無意識に抑え込んできた怒りや不満が爆発(心も身体も限界)→それまで毎日行って普通に生活していた学校も翌日から突然、行くことができなくなる。

ここから中学校を卒業するまでの出来事は色々ありすぎるので省略するが、不登校になりはじめてしばらくした頃、教育委員会から派遣されるスクールカウンセラー制度がはじまり、臨床心理士(東京から派遣された先生)のスクールカウンセリングを受けはじめる(この頃ストレスによる身体の症状も出ていた)。

そして、この本格的に不登校になったタイミングで再び、小学校の頃の救世主の校長先生が再び中学校の校長先生として赴任してきて救世主となる。また、中学3年生の頃の担任の先生にも恵まれた。何もかも、まるで奇跡のタイミングか?と思うほどに歯車が合った感じ(人とのご縁は本当に不思議なものです)。

中学校もここには書ききれないほど様々なことがあり、色々な人のサポートを受けながらなんとか卒業した。

高校受験は教室受験と途中から保健室受験にて対応してもらい、地元の公立高校に進学する。

高校に進学するも、根っからの正義感と曲がったことが大嫌いな自身の気質から、教師から理不尽な暴力を受けた友人をかばい、守り、教師にもはっきりと抗議を意見した。高校2年生の頃は今度は自身がある教師から嫌がらせを受け、学校の存在意義や教師の人間性に呆れ果て、再び高校2年生の途中から行ったり休んだりをくり返しすようになり、不登校になる。

その過程で、中学生の頃にお世話になったスクールカウンセラーの臨床心理士の先生に母が連絡をとり、その先生と今度は個人契約し自宅に来てもらい、再びカウンセリングを受け始める。

臨床心理士の先生と話をする中で、教育現場や各々の教師自身が悩みや問題を抱えていることや、私の他にも不登校で悩んでいる生徒や、悩みや問題を抱えている生徒が沢山いるということを知る。

ここに詳細は記さないが、私の不登校をきっかけに、高校に別室登校の仕組みや、これまでカウンセラーの必要性を感じてこなかった高校自体にカウンセラーの必要性を訴え、結果、私以外の生徒や先生自身がカウンセリングを受けることにもつながった。

​​

不登校中、担任、私とトラブルがあった教師、学年主任、教頭先生、校長先生とも対話する機会を何度か設け、教員側の意見や主張を聞いたり、あまりにも自己保身ばかりで生徒への寄り添いが乏しい教師に私自身の気持ちや子どもたちが持つ気持ちを主張することもあった。が!!日々ズレている言動に幻滅とイライラが増すばかり。

​​

義務教育の中学校とは異なり、高校は出席日数が重要だったため、不登校中も出席日数も気にする日々。

ある日の朝、担任の先生に出席日数を母が電話で確認した時点では「出席日数はまだ大丈夫です、余裕あります」と言われたが、実はその時点ではもう出席日数が足りない状態だったということが同日の夕方発覚。

担任の計算ミスだったらしい。

ならば!!と思い、高校3年生になる前に「私がここで学ぶことはもうない」と思い、学校や教師、校長先生に対しても、自分なりのこれまでの経過と対応のズレや主張を伝えるという「自分なりのけじめ」を付けて自ら自主退学を希望し退学届を出す。その時も、高校の先生たちは私の進路は「大検は大変だから無理、定時制ですね」的なことを言われ悔しい思いをする。だからこそ「やってやる!!根性」に火がついた。

結果、独学で大検(大学入学資格検定試験)に一発合格、短大を受験→進学φ(._.)

小~高校は、原因やキッカケは表面的にはそれぞれ違うが根底は同じ。
本当に信頼できる先生以外は、基本学校の先生であっても不信感をずっと抱いていた。色々な大人を見て、本気でぶつかってきて、この頃から、どんな肩書きを持つ人であろうと、その人の人間性(本質)を見る本質主義の目が養われる。そして曲がったことが大嫌い&正義感が強すぎると世渡り下手になるものです(இдஇ; )←この頃はまだ。

あと、言えるのは、どんな時も「何があっても絶対に自分の味方でいてくれる存在(私にとってその存在は家族「特に両親」がいる」ということ、「親であっても一人の人間、今起きている出来事は初体験同士なんだ」ということを、私自身が自覚し感じることができた根底になった時代。これはすごく大きなことだった。
新しいチャレンジをする時、立ちはだかる目の前の問題を乗り越える時、特に自分が困難な状況の時ほど、そんな存在がいるといないとでは、その後の自分の人生は間違いなく大きく左右されていたことでしょう。

03.進路

幼稚園の年長さんからピアノを習いはじめ、幼い頃から「ピアノと言えばaiko」と周囲も認めるほどで、音大へ進学する夢を抱いていたが、いじめをキッカケにボロボロになっていった心と身体゚・。(。/□\。)。・゚
カウンセリングをきっかけに、カウンセリングを通して、自分を掘って掘って掘りまくりながら自分と向き合い、自分の育った環境、家族関係、親子関係、兄弟関係、親自身の育った環境、自分自身について、その他、いじめや不登校・教師の在り方・取り巻く環境などあらゆる問題の根本や、子ども・大人問わず他人に危害を与えてしまう加害者の生い立ち、環境、立場、気持ちを想像、考えるようになり、次第に臨床心理士として心のケアをする仕事に就きたいと思うようになる。

しかし、その当時少年犯罪やいじめによる自殺などのニュースが社会問題となるくらい毎日ニュースで報じられており、それらを日常的に見聞きする。そんな中、臨床心理士の先生と話したり、自分なりにそれらを分析し、幼少期の親子の愛着形成や人格形成期の重要性を強く感じたことから、まず最初に「幼児教育・保育」を学んだ後に「心理学」を学ぼうと決意。(短大へ進学した後、4大へ編入を現実的な視野に置いて進学を決める)

04.短大~大学時代、ダブルスクール

大量の資料を大学から取り寄せ吟味し、自分にとってベストな環境・カリキュラムがある大学へ進学。

まずは、短大幼児教育科を首席で卒業。その後、保育士資格取得のため専攻科へ進学、専攻科卒業後、更に心理学を学ぶために大学3年次へ編入する。

また、専攻科時代には集団保育とは別に「家庭保育」に関心を持ち、ダブルスクールにて「英国式チャイルドマインダーの資格」を取得。
子どもにとって家庭内で起きていることは良くも悪くも大きな影響を与え、それらは集団保育に関わる者としてだけではケア・サポートするには困難であると感じ考え、あまりない形ではあったが自分自身が母子、家族、それに携わる人達の中に入って、一見見逃してしまいがちな問題も家庭に近いポジションでケア・サポートしたいと考える。

今思えば、やはり私には根本にホリスティックな視点と考え方が昔からあったようだ。
その他、在学中から劇団四季の託児ルームや(実は一時期ライオンキングパンフレットに載っていた私(//∇//) )、その他施設や個人宅、依頼場所への訪問保育サービスをスタートさせる。

05.フリーランス時代、シンガー時代

大学卒業と同時に24H訪問保育・子育て支援事業をたった一人で開業する。約7年半活動したが、椎間板ヘルニア発症のため泣く泣く閉業。

その傍ら、自分にとって幼少期からなくてはならない音楽の道で活動する。不登校時代、友人の影響で密かにオーディションに応募し、短大時代に某芸能事務所のオーディションに受かり、シンガーとしても都内のLiveハウス、Bar、CLUB、アウトレットモール、イベント等に出演、インディースレーベルにてCD発売。一度は音楽から離れるも再び、シンガーソングライターとして活動。音楽を通しても、作詞に込める想いやメッセージは自身の活動と一貫していた。その後も有名シンガーやボイストレーナー、元劇団四季、ミュージシャンなどからボイストレーニング、歌唱法、ステージング、医療ボイトレの視点などなどレッスンを受ける。また、芸能の世界を目指す友人、芸能界で活躍する友人などから新たな世界・価値観・刺激を受ける。芸能の世界に入らなければ出会わなかった人・こと・常識など、体験しなかったら知ることなく人生終えていただろうということを、良くも悪くも多々見聞き体験した。

06. 海外短期留学&現地の家族関係・幼児教育を体験

フリーランスの訪問保育の道が閉ざされ、本当に色々な派遣のお仕事をしていた27才。

海外に住む友人や海外と縁のある人に不思議とこれでもかってくらいに度々出会い、親しくなる。
そして、みんな口を揃えて言ったのは「aikoは海外に行った方がいい!海外が向いている!絶対楽しいと思う!」
興味を持ったら調べまくる私は、次第に海外に関心を持ち、みんなの声の後押しもあり、数か月後には単身カナダへ。

翌年にはオーストラリアへの短期留学を決めていたが、渡豪する数ヶ月前に祖母が亡くなり出国を延期。が!延期した2度目の渡豪前日に今度は自身がギックリ腰になり全く動けなくなり、オーストラリアへの留学を断念。お金だけが飛んでいってしまう。が!!

どうしてもその年中に海外に行きたいという想い抑えられず、まだ腰が痛いにも関わらずエージェントを探し、オーストラリアを断念した1ヶ月後にはコルセットを巻いてニュージーランド(オークランド)へ短期留学へ。

以前から関心があった海外の育児、保育環境、家族関係を自分の肌で感じ学びたいと思い、短期間ではあったが2年間でカナダ、ニュージーランドともに5人子どもがいる家庭にホームステイしながら語学学校に通い、現地のチャイルドケアセンターやマザーズヘルプを経験。行ってよかった!!!
異文化に関心を持つと同時に、日本と海外の違いに目を向け、様々な国の友人もでき関わる中で、今に至るまでの私の価値観を変える気付きが多々生まれた。

07.オフィスワーカーとして働く

24H訪問保育・子育て支援事業閉業後、そして帰国後は、これまでの経験や対人スキルなどを活かして日系、外資系、財閥、官公庁、法人、研究所、メーカー、金融、保険、教育、マスコミ、ベンチャー等々、あらゆる業界で働く(派遣、正社員)。職種は主に人事部にて採用・教育担当やメディア制作関連、海外赴任者サポート等に従事。
他にも、派遣社員やアルバイト経験としては約十数社程で営業、一般事務、営業事務、データ入力、飲食接客、イベント、ディレクション、倉庫作業、軽作業等々、あらゆる職種を経験。

 

これだけ色々なことをしていると転職をする度、一貫性のない人、飽き性の人というレッテルを張られることも多かったが「そんなの関係ねえ!根性で我が道を行く」。その頃、本質は本人にしかわからない。他人からはわからなくても、自分自身の中で一貫性があれば問題ない!!が私には根付いていた。

そして、自身のルーツや考えを直接話すと分かってくれる人も少数ながらもちろんおり、すぐに私の生き方を理解してくれル人もいた。


ある意味、それら全ての体験や経験があったからこそ、社会の構造や自分の向き不向きなどもわかった。

今では多種多様の経験・体験は、私だけのOnlyoneの強みと言える。

そして、なぜ私が一か所に属さずこのような働き方を選択したかについては、様々な職種の母親や家庭/家族への訪問保育サポートをしていた時に、働く母親達のサポートをする中で私自身が社会で働く女性の姿や存在位置をよくわかっていないということに気付いたことも一理ある。
「女性の企業内での立ち位置」や「女性の就業環境・社会の暗黙のルール」を私自身が実際に体験していないことには、働く母親支援に限界があると感じたから。

なので、偶然にも導かれるように人事職に従事できたことは、それらの観点からも組織を俯瞰的に幅広く色々と知ることができた。

08.実際に企業で働いてみると

子どもの頃から観察力や洞察力が鋭く、周囲の変化や心模様にもとても敏感なことに加え、正義感が強く曲がったことが大嫌いな頑張り屋さん気質だったこと、また幼い頃から物事の表裏を見聞きする場面が多くあったせいか、私は一般に「社会」と言われる日本の組織社会に違和感を感じることが多々あった。(これはある意味小学生~高校生の頃の私もそういった感覚からいじめや不登校、更に自主退学する流れになったこととも通ずる)

また、組織では長年人事職に従事就していたこともあり、あらゆる社員の抱えていること、悩んでいること、不満などを感じ取ることも多かった。

そして、自身が企業(組織)で働く中でもとても生き難さを感じ、古い体質の残る日本社会の歪みや理不尽極まりないこと等を目の当たりにする度、本当に色々と感じることがあり、なんとか変革しようと日々奮闘。常に戦闘モード(><)状態!!ストレスMAX状態!!イライラMAX!!
おまけに残業、残業、残業の日々、、、色々なことに気付きすぎ、相手の気持ちを汲み取りすぎ、責任感がありすぎ、自分が動いた方が早い!というこれまた身体を壊す人が陥りがちなループに陥り常に交感神経ON状態!(;´Д`A

 

結果、そんなモードもいつまでも続くはずもなく、次第に「適応」という言葉の持つ意味に葛藤し、どうしたら不平等かつ理不尽な環境、あらゆる面で偏りが多い社会でストレスと上手くつき合いながら「自分らしく生きられるのか?」ものすごく日々日々模索し試行錯誤した。

「自分は何のために生きているのだろう?」とまで思い始めたり、コンビニで物を買った際に店員さんから「ありがとうございました」と言われるだけで涙が出てきたり、、、(~_~;)

そして、色々思うことはあっても「今の自分に変えられることと、変えられないこと」についても考える。
そんな中で組織というのは、大きければ大きい程、個の力や少数派の声だけでは改革するのは本当に大変なことで、変わるのにはとてつもない時間を要し、簡単には変わらないということも悔しくもつくづく実感する。
 

結果(働き過ぎ&ストレス超過多で心身ボロボロにもなり)、自分の居場所、適職、合う環境はここではないとやっと決心がつく(遅すぎる自己犠牲状態への気付き)→要するに、自分が変わる道を選ぶ(自分を大切にする道)そして、これまでずっと貫いてきた信念と変わらずやりたい道が自分にはあるということを激しく再認識し、大きな組織に属さず、これまでの自身の体験経験スキルを活かして自分なりの生き方であらゆる人をサポートしていこうと退職を決意。

09.無駄なことは一つもない

略歴はまだまだ続くのですが(これで略歴というのだから我ながら驚きです(°°;))

私のこれまでの人生は、何時間どころか、数日あっても足りないほど「心身の静と動」や「喜怒哀楽」色々なことがあありました。その中で生まれた感情や気付きも高ーい高ーい山ほど積もり積もって存在します。
だけど、そのどこを切り取っても今となれば無駄なことは一つもなく、自身に誇れる【Only oneの人生】だと、自分を褒めてあげたいと思えるほどです。多分それは、これからの人生でも変わらないと思います。

なぜそう思うのか、それは私は【今がダメでも、未来の自分がそのダメだと思っている今を「あれがあったから今の自分があるって胸張って言える自分になっていれば何の問題もない!」「絶対にそうする!」って決めて私は、中学時代も高校時代もこれまでも生きてきたし、これからもそうするだろう】と思えるから。
時に打ちのめされそうになったとしても、希望すら見出せない時も、それでも最後はそう思って生きてきたし、これからもそう思って生きていきたいと思うのです。

これだけ色々体験してくると、日々色々起きて当たり前で、その中で揺らぎが起きることも当たり前。

ただ、揺らぎながらもしっかりと戻って来られる自分の信念や軸があること。そして家族・友人・仲間・サポーターの存在があること。これが大事だと思うのです。

10.「生きやすさ」とは何?何が重要?

私自身、幾度も大なり小なり心身の不調を体験してきたこともあり、あらゆる面で偏りや違和感を感じることが増えてきた社会の中で、

「どうしたら自分らしく生きられるのか?」
「どうしたら心身健康でご機嫌に生きられるのか?」
「どうしたら日々自分らしく快適で生活できるのか?」

ということを日々たくさんたくさん模索し、試行錯誤してきた結果、行き着いたのはコレ↓

  • 自分自身に戻るための「日常的な」心と身体のセルフケア(コンディショニング・バランス調整)の重要性

  • メンタルケアの多面的アプローチの重要性

  • 自分で自分をご機嫌にするツール(方法)はあればあるほど心と身体のバランスケアに役立つ

実は、私自身ブラック企業!?での超過労働や、過度のストレスが重なり過去には様々な身体の不調を体験しています。(詳細はプロフィール参照)
霰粒腫、ものもらい(最高1年に立続けに12回)、蕁麻疹、椎間板ヘルニア、突発性難聴、血管腫(良性)、自律神経の乱れ、腰痛、頭痛、顔・頭皮痛、眼精疲労、過呼吸、生理不順、数か月生理が止まる、原因不明の体中の痛み(ほぼ寝たきり)、光音匂い刺激による不調 等々。(←我ながらฅ=͟͟͞͞((꒪∆꒪;)ฅヤバ凄い!!)今こうして普通に生活できていることが奇跡に思える程、あの頃は本当にきつかった。

私自身、ストレスを要因とした身体の不調と健康な状態(人生の静と動)を幾度も繰り返し体験し、病院や自然療法含め様々な治療やセラピーもトライしてきたからこそ、心だけでなく「心と身体、両面の健康」「内側からや、外側からなど、両面からケアしていくことの重要性」を身をもって痛感し、同時に私にとって心地いいバランスの追求もするようになりました。そして様々な対処療法(治療)と根本療法(治療)をどう自身が選択していくかについても。
「心身ボロボロになって治療する」まで行く前に『日常気軽に楽しみながら取り入れ、メテナンスできるセルフケアやそのツール、環境(場所)、相手は、あればあるほど生きやすくなる』ということを、これまで以上に意識したのです。

11.ホリスティックな考え方

組織を退職した後、私の根底に昔からある想いと、これまでの経験・キャリアを活かして自分も含めあらゆるストレス社会で生きる人の「心」と「身体」の両面をケア・サポートする活動を色々と準備計画していたとき、何かに導かれるように大学の講義で学んだ心理学とは違う「日常生活に誰でも簡単に落とし込んで使える心理学としてのメンタルケア」や「タッチケア(ハンドケアセラピー&わらべうたベビーマッサージ)」、「フィトセラピー(植物療法)」と出会いました。どちらも何年ぶりかに会った友人、新たな場に飛び込んだ際にその場で出会った人からの情報を得て。本当に不思議。
そして、学ぶという感覚というよりは「腑に落ちていく感覚」を日々感じながらメンタルカウンセラー、メンタルトレーナー、ハンドケアセラピスト、フィトセラピスト(植物療法士)等々の資格を取得し日々学びを深めていきました。

 

この時も思ったことですが、多岐に渡り様々な経験・体験をしていると、何かを学ぶとき、習得するときに理解がとても早くなります。それは、自身の経験や感覚に置き換えて想像して、リアリティに近い感覚を持ってそれぞれの事柄に向き合うことができるから。人は記憶にも感覚的にも刻まれると定着しやすい。

やはり「かわいい子には旅をさせよ」精神は大事ですね(´∇`)b 余談でした…(;··)

 

話を戻して、中でもフィトセラピー(植物療法)を学び、「ホリスティックな考え方」に触れ深く共感し、これまでの自身のマインドとの共通点を多々見出したことで、結果、当初は心理的アプロ―チ(カウンセリング)がメインであった自身のアプローチ方法にも大きな影響を与える事になりました。
私たちは、自然の摂理や植物から「生き方」を学ぶことが多いにあります。

12.つながりを持った活動

その後は、心理カウンセリングやメンタルケア(アプローチ)の他、日常のセルフケアとして気軽に取り入れることが出来る植物療法(ハーブ・アロマ)やハンドケアセラピー(タッチケア)も、クライアントに提供するアプローチ手法として取り入れ、クライアントのその時の心身の状態に応じて「心からアプローチするのか」「思考からアプローチするのか」「身体からアプローチするのか」「感覚からアプローチするのか」都度、丁寧に目の前の人に寄り添ったツール(アプローチ方法)を選択しながら、赤ちゃんからシニアの方までの心・身体・日常・人生のサポートさせていただいてきました。その他、私個人としてもシンガーソングライターやハンドメイド作家としても活動するなど、唯一無二のキャリアを活かしたイベントやセミナー、ワークショップ、親子教室などオリジナル企画も開催。(東京都立某療育医療センターより依頼いただき、様々な障害を持つ親子さんに向けた「親子でフィトセラピー&音スキンシップ&ミュージックセラピー」の親子イベントを開催など)

13.みんな同じ、だけど、みんな違う

フィトセラピーや表現アートセラピーを通して感じた
「植物から得ることのできる、お一人おひとりの感覚の違い」
「直感や感覚を重視したセラピーから得ることのできる、お一人おひとりの様々な気づき」
これらは私自身も実際、体感してきたことではありますが、特に毎回感じ思うことがあります。

それは、「みんな同じ、だけど、みんな違う」と「みんな違う、だけど、みんな同じ」ということ。

これは、心理的アプローチを通して感じてきた「みんな同じ、だけど、みんな違う」と「みんな違う、だけど、みんな同じ」よりも、もっと単純で分かりやすくもあり、個々の違い、「その人独自の感覚」が面白いほどに表れるように私は感じます。(=誰しも自分にとっての心地良さと心地悪さ・バランスがある/持っている)

14.多種多様の体験キャリアを経て

現在は、これまで蓄え積み重ねてきた多種多様の体験や知識や情報、キャリアをフル活用したaikoだからこそ可能な枠にとらわれない多彩なホリスティックアプローチを活用しながら、クライアント(女性・子ども・学生)の心と身体の声に寄り添うホリスティックアプローチカウンセラー&セラピストとして活動しています。

心理カウンセラー&メンタルトレーナーとして、
フィトセラピスト(植物療法士)&ハンドケアセラピストとして、

保育士、幼稚園教諭、チャイルドマインダー、ベビーマッサージインストラクター、

アーティスト(表現者)、ハンドメイド作家 、 ボイストレーナーでもある

一人のホリスティックアプローチカウンセラーセラピストが


その時のクライアントの心身の状態に応じた、枠にとらわれないホリスティックアプローチを臨機応変にカスタマイズしながら、「自分らしい、心・身体・思考・生活のバランス」を取り戻し、心も身体も軽やかに健やかに自分らしく生きることをサポートさせていただいております。

インタビューや一方通行ではない対話(各種ワーク)を通して、言語化できない感情や悩み、ニーズや願望などの理解を深め、一緒にそれらを紐解いたり、ただただ会話をしたり、ハーブやアロマを使用して各々の感覚をアウトプットしながら自分で自分を癒やし、自然治癒力をサポートしたり、安心感を提供したり、皆さんの「今の心と身体の状態」を紐解くサポートをさせていただいたり。

他者との調和を大事にしながら、心身健やかに、あなたがあなたらしく軽やかに輝く人生を生きることを。

不安や鬱々とした気持ちが少しでも軽減し前向きな状態へと変化していく「軽やかさや心地良さ」感じることのできる日常を送るそんなサポートができたら嬉しく思います。

以上、ざっくりですが「aiko's storyーこれまでの私の人生ー」概要でした。
長かった~ヾ(;´▽`A``アセアセ 
でも、これもまだ概要です(..;)

まだまだ書いていない母の特殊な闘病サポート・介護・在宅治療/介護体験や、シンガー活動時代のあれこれ、その他、積もり積もった諸々の体験談も山ほどあるので気になった方は、直接お話する機会にお気軽に質問してください^^

または、note記事にも色々と綴っているのでそちらをご覧ください。

『Aismileheart aiko's story』を最後まで、最後まで、読んでくださり、本当に感謝いたします。

​ありがとうございました。

Aismileheart代表 aiko

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