
aiko's story
01. 幼少期
人見知りながらもお友だちは沢山、幼稚園大好き。
自然の中で伸び伸び育つ٩(ˊᗜˋ*)و
好奇心旺盛、天真爛漫、歌うこと&おしゃべり大好き女児♥(≧◡≦)
昔話や絵本、世界名作アニメ劇場を好んで観ていた。
兄、従兄弟など周囲に男の子が多かったせいか遊びの幅も結構広く、見てる側からは危なっかしいおてんば娘(;'∀')
負けず嫌い&頑張り屋さん気質であり、幼いながらも場の空気を鋭く感じる子ども。
02. 小学生~高校生時代
男子とも仲良し!上級生からも何故か特別可愛がられていた。そして何もしていなくても何故か目立ってしまう傾向の子ども。小3の自主学習の時にクラスのボス的な女子が「なんか面白いことないかな〜、そうだ!aikoいじめて遊ぼう!」の一言から小3~小6でいじめにあう。(←後日全員にTELして確認したところある一人の女子が証言)
いじめられている子を助ければまた自分が標的になるという悪循環、、、
体育館の裏に呼び出されクラスの女子6名ほどを除いた全員の女子から「男子とイチャイチャしてるのがむかつく、この世から消えてくれない?○んで!」と言われたり(自分が標的になりたくないが故に言わされていた子もいたが)、自転車のサドルに画鋲が刺さっていたり本当に色々あった。。。
しかし根っからの負けず嫌いな性格!その子たちの前では泣くもんか!とヘコ垂れず一人でも立ち向かう強気な子どもだった。しかし泣かないとそれはそれで相手は面白くないため更にエスカレート。が、小5の頃、突如「救世主」が現れ表面的には少し落ち着く。私の場合、外では強気でも家では泣きながら母親にあったことを全てではないがほとんど話していた。
地方の公立中学校なので小学生の同級生はほとんど同じ中学校へ進学。
例の女子とは離れたかったため本当は入りたかった部活も断念。
中3の時ある出来事をきっかけにいじめられていた頃のリアル感情がフラッシュバック&怒りが爆発→翌日から突如不登校。(臨床心理士の先生と出会いスクールカウンセリングを受ける)
高校に進学するも高2で自主退学し、独学で大検(大学入学資格検定試験)に一発合格、短大を受験→進学φ(._.)
小~高校は、原因やキッカケは表面的にはそれぞれ違うけど根底は同じ。
本当に信頼できる先生以外は基本学校の先生に対しては不信感を抱いていた。
曲がったことが大嫌い&正義感が強すぎると世渡り下手になるものです(இдஇ; )
03.進路
幼い頃から音大へ進学する夢を抱いていたが、いじめをキッカケにボロボロになっていった心と体゚・。(。/□\。)。・゚
カウンセリングをきっかけにカウンセリングを通して、自分を掘って掘って掘りまくりながら自分と向き合い、その他いじめや不登校、教師の在り方、取り巻く環境などあらゆる問題の根本や、子ども・大人問わず他人に危害を与えてしまう加害者の生い立ち、環境、立場、気持ちを想像、考えるようになり、次第に臨床心理士として心のケアをする仕事に就きたいと思うようになる。
しかし、その当時少年犯罪やいじめによる自殺などのニュースが社会問題となるくらい多く、それらを日常的に目にする。そんな中、臨床心理士の先生と話したり、自分なりにそれらを分析し、幼少期の親子の愛着形成や人格形成期の重要性を強く感じたことから、まず最初に「幼児教育・保育」を学んだ後に「心理学」を学ぼうと決意する。(短大へ進学した後、4大へ編入を現実的な視野に置いて進学を決める)
04.短大~大学時代、ダブルスクール
大量の資料を大学から取り寄せ吟味し、自分にとってベストな環境・カリキュラムがある大学へ進学。短大幼児教育科を首席で卒業。
その後、保育士資格取得のため専攻科へ進学、専攻科卒業後、更に心理学を学ぶために大学3年次へ編入。
また、専攻科時代には集団保育とは別に「家庭保育」に関心を持ち、ダブルスクールにて「英国式チャイルドマインダーの資格」を取得。
子どもにとって家庭内で起きていることは良くも悪くも大きな影響を与え、それらは集団保育に関わる者としてだけではケア・サポートするには困難であると考え、あまりない形だが自分は母子、家族、それに携わる人達の中に入って、一見見逃してしまいがちな問題も家庭に近いポジションでケア・サポートしたいと考える。今思えば、私には根本にホリスティックな視点と考え方が昔からあったように思う。
その他、在学中から劇団四季の託児ルームや(実は一時期ライオンキングパンフレットに載っていた私(//∇//) )、その他施設や個人宅、依頼場所への訪問保育サービスをスタートさせる。
05.フリーランス時代、シンガー時代
大学卒業と同時に独立し、フリーランスで24H訪問保育・子育て支援事業をたった一人で開業。約7年半活動したが、椎間板ヘルニア発症のため泣く泣く閉業。
その傍ら、自分にとって幼少期からなくてはならない音楽の道で不登校時代から密かに動いていた。短大時代には某芸能事務所のオーディションに受かりシンガーとしても都内のLiveハウス、Bar、CLUB、アウトレットモール、イベント等に出演。音楽を通しても、作詞にしてもやはり伝えるメッセージは自身の活動と一貫していた。
06. 海外短期留学&現地の家族関係・幼児教育を体験
フリーランスの訪問保育の道が途出され、取り敢えず派遣のお仕事をしていた27才、海外に住む友人や海外と縁のある人に不思議とこれでもかってくらい度々出会い、親しくなる。
そして、みんな口を揃えて言ったのは「aikoは海外に行った方がいい!海外が向いている!絶対楽しいと思う!」
その中で次第に海外に関心を持ち、背中を押され数か月後には単身カナダへ。
翌年にはNZへ渡り以前から関心のあった海外の育児、保育環境、家族関係を自分の肌で感じ学びたいと思い短期間ではあったがカナダ、NZともに5人子どもがいる家庭にホームステイしながら語学学校に通い、現地のチャイルドケアセンターやマザーズヘルプを経験。
行ってよかった!
異文化に関心を持つと同時に日本と海外の違いに目を向け、その後今に至るまでの価値観を変える気付きが多々生まれた。
07.オフィスワーカーとして働く
24H訪問保育・子育て支援事業閉業後、そして帰国後は、これまでの対人スキルなどを活かして日系、外資系、財閥、官公庁、法人、研究所、メーカー、金融、保険、教育、マスコミ、ベンチャー等々、あらゆる業界で働く(派遣、正社員)。職種は主に人事部にて採用・教育担当やメディア制作関連、海外赴任者サポート等に従事。
他にも、派遣社員やアルバイト経験としては約十数社程で営業、一般事務、営業事務、データ入力、飲食接客、イベント、ディレクション、倉庫作業、軽作業等々、あらゆる職種を経験。
これだけ色々なことをやっていると転職をする度、一貫性のない人、飽き性の人というレッテルを張られることも多々あったが、そんなの関係ねえ!根性で我が道を行くw
しかし、自身のルーツや考えを直接話せば分かる人はすぐに私の生き方を理解してくれた。
ある意味、それら全ての経験があったから社会の構造や自分の向き不向きなどもわかった。今では多種多様の経験・体験は、私だけのOnlyoneの強みと言える。
そして、なぜ私が一か所に属さずこのような働き方を選択したかについては、様々な職種のママさんや家庭への訪問保育をしていた時に働くママさん達のサポートをする中で私自身が社会で働く女性の姿や存在をよくわかっていないということに気付いたことも一理ある。
「女性の企業内での立ち位置」や「女性の就業環境・社会の暗黙のルール」を私自身が実際に体験していないことには、働くママさん支援に限界があると感じたから。なので、偶然にも導かれるように人事に従事出来たことはその観点からも組織を幅広く色々と知ることが出来た。
08.実際に企業で働いてみると
子どもの頃から観察力や洞察力が鋭く、周囲の変化や心模様にもとても敏感なことに加え、正義感が強く曲がったことが大嫌いな頑張り屋さん気質だったため、私は一般に「社会」と言われる日本の組織社会に違和感を感じることが多々あった。(これはある意味小学生~高校生の頃の私もそういった感覚からいじめや不登校、更に自主退学する流れになったこととも通ずる)
企業(組織)で働く中でとても生き難さを感じ、古い体質の残る日本社会の歪みや理不尽極まりないこと等を目の当たりにする度、本当に色々と感じることがあり、なんとか変革しようと日々奮闘。常に戦闘モード(><)状態!!ストレスMAX!!
おまけに残業、残業、残業の日々、、、色々なことに気付きすぎ、相手の気持ちを汲み取りすぎ、責任感がありすぎ、また自分が動いた方が早いというこれまた身体を壊す人が陥りがちな常に交感神経ON状態!(;´Д`A
結果、そんなモードもいつまでも続くはずもなく、次第に「適応」という言葉の持つ意味に葛藤し、どうしたら不平等かつ理不尽な環境、あらゆる面で偏りが多い社会でストレスと上手くつき合いながら「自分らしく生きられるのか?」ものすごく日々日々模索し試行錯誤した。そして、色々思うことはあっても「今の自分に変えられることと、変えられないこと」についても考える。
そして、組織ってのは大きければ大きい程、個の力や少数派の声だけでは改革するのは本当に大変だし変わらないことを悔しくもつくづく実感する。
結果(働き過ぎ&ストレス超過多で心身ボロボロにもなり)、自分の居場所、適職、合う環境はここではないとやっと決心がつく(遅すぎる自己犠牲状態への気付き)→要するに、自分が変わる道を選ぶ(自分を大切にする道)そして、これまでずっと貫いてきた信念と変わらずやりたい道があることを激しく再認識し、大きな組織に属さず、これまでの自身の体験経験スキルを活かして自分なりの生き方であらゆる人をサポートしていこうと退職を決意。
09.無駄なことは一つもない
略歴はまだまだ続くのですが、私のこれまでの人生は、ここに綴れないほど本当に「心身の静動」「喜怒哀楽」色々なことがあった。その中で生まれた感情や気付きも山ほどある。
だけど、そのどこを切り取っても今となれば無駄なことは一つもないし、自分に誇れる【Only oneの人生】だと自分を褒めてあげたいと思えるほど。
多分それは、これからの人生でも変わらないと思う。
今がダメでも、未来の自分がそのダメだと思っている今を「あれがあったから今の自分があるって胸張って言える自分になっていれば何の問題もない!」「絶対にそうする!」って決めて私はこれまでも生きてきた。
時に打ちのめされそうになったとしても、希望すら見出せない時も、それでも最後はそう思って生きてきたし、これからもそう思って生きていくのだと思う。
10.「生きやすさ」とは何?何が重要?
私自身、幾度も大なり小なり心身の不調を体験してきたこともあり、あらゆる面で偏りや違和感を感じることが増えてきた社会の中で、
「どうしたら自分らしく生きられるのか?」
「どうしたら心身健康でご機嫌に生きられるのか?」
「どうしたら日々自分らしく快適で生活できるのか?」
ということを日々模索し試行錯誤してきた結果、行き着いたのはコレ↓
★日常的な「心」と「身体」のセルフケア(コンディショニング)の重要性
★メンタルセルフケアの多角的アプローチの重要性
★自分で自分をご機嫌にするツールはあればあるほど心身のバランスケアに役立つ
実は、私自身ブラック企業!?での超過労働や、過度のストレスが重なり過去には様々な体の不調を体験しています。
霰粒腫、ものもらい(最高1年に立続けに12回)、蕁麻疹、椎間板ヘルニア、突発性難聴、血管腫(良性)、自律神経の乱れ、腰痛、頭痛、顔・頭皮痛、眼精疲労、過呼吸、生理不順、数か月生理が止まる、原因不明の体中の痛み(ほぼ寝たきり)、光音匂い刺激による不調 等々。(←我ながらฅ=͟͟͞͞((꒪∆꒪;)ฅヤバ凄い!!)今こうして普通に生活できていることが奇跡に思える程、あの頃は本当にきつかった。
私自身、ストレスを要因とした身体の不調と健康な状態(人生の静と動)を幾度も繰り返し体験し、病院や自然療法含め様々な治療やセラピーもトライしてきたからこそ、心だけでなく「心と身体の健康」「体の内側と外側の両面からケアしていくことの重要性」を身をもって痛感し、同時に私にとって心地いいバランスの追求もするようになりました。
「心身ボロボロになって治療する」まで行く前に『日常気軽に楽しみながら取り入れ、メテナンスできるセルフケアやそのツール、環境(場所)、相手は、あればあるほど生きやすくなる』ということを、これまで以上に意識したのです。
11.ホリスティックな考え方
退職後、私の根底に昔からある想いと、これまでの経験・キャリアを活かして自分も含めあらゆるストレス社会で生きる人の「心」と「身体」の両面をケア・サポートする活動を色々と準備計画していたとき、何かに導かれるように大学の講義で学んだ心理学とは違う「日常生活に誰でも簡単に落とし込んで使える心理学としてのメンタルケア」や「タッチケア(ハンドケアセラピー&わらべうたベビーマッサージ)」、「フィトセラピー(植物療法)」と出会ったのです。
そして、学ぶという感覚というよりは「腑に落ちていく感覚」を日々感じながらメンタルカウンセラー、メンタルトレーナー、ハンドケアセラピスト、フィトセラピスト(植物療法士)等々の資格を取得し日々学びを深めていきました。
この時も思ったことですが、多岐に渡り様々な経験・体験をしていると、何かを学ぶとき、習得するときに理解がとても早くなります。
自身の経験や感覚に置き換えて想像して、リアリティに近い感覚を持ってそれぞれの事柄に向き合うことができるから。やはり「かわいい子には旅をさせよ」精神は大事ですね(´∇`)b
余談でした…(;··)
話を戻して、
中でもフィトセラピー(植物療法)を学び、「ホリスティックな考え方」に触れ深く共感し、これまでの自身のマインドとの共通点を多々見出したことで結果、これまで心理的アプロ―チ(カウンセリング)がメインであった自身のアプローチ方法に大きな影響を与える事にもなりました。
私たちは、自然の摂理や植物から「生き方」を学ぶことが多いにあります。
12.つながりを持った活動
その後は、心理カウンセリングやメンタルケア(アプローチ)の他、日常のセルフケアとして気軽に取り入れることが出来る植物療法(ハーブ・アロマ)やハンドケアセラピー(タッチケア)もクライアントに提供するアプローチ手法に取り入れ、クライアントのその時の心身の状態に応じて「心からアプローチするのか」「思考からアプローチするのか」「体からアプローチするのか」「感覚からアプローチするのか」手法を選択しながら赤ちゃんからシニアの方までの心身のケア・サポートを提供しています。
その他、私個人としてもシンガーソングライターやハンドメイド作家としても活動するなど、唯一無二のキャリアを活かしたイベントやセミナー、ワークショップ、親子教室などオリジナル企画を開催。(東京都立某療育医療センターより依頼いただき、様々な障害を持つ親子さんに向けた「親子でフィトセラピー&音スキンシップ&ミュージックセラピー」の親子イベントを開催など)
13.みんな同じ、だけど、みんな違う
フィトセラピーを通して出会った
「植物から得られるお一人おひとりの感覚の違い」
「直感や感覚を重視したセラピーから得られるお一人おひとりの様々な気づき」
これらは私自身も実際体感してきたことではありますが、特に毎回感じ思うことがあります。
それは、「みんな同じ、だけど、みんな違う」ということ。
それは、心理的アプローチを通して感じてきた「みんな同じ、だけど、みんな違う」よりも、もっと単純で分かりやすくもありました。
個々の違い、「その人独自の感覚」が面白いほどに表れるように私は感じます。
(=誰しも自分にとっての心地良さと心地悪さがある、持っている)
14.多種多様の体験キャリアを経て
現在は、これまで蓄え積み重ねてきた多種多様の体験や知識や情報、キャリアをフル活用したaikoだからこそ可能な枠にとらわれない多彩なホリスティックアプローチを活用しながら、クライアント(お客様)の心と身体の声に寄り添うフルオーダーメイド式のカウンセリング&ケアを提供している。
心理カウンセラー&メンタルトレーナーとして、
フィトセラピスト(植物療法士)&ハンドケアセラピストとして、
アーティスト(表現者)として、
その時のクライアント(お客様)の心身の状態に応じた多角的なアプローチを融合させながら皆さんの心と身体のコンディショニングや「自分らしく生きる」をサポートさせていただいている。
インタビューや一方通行ではない会話(各種ワーク)を通して、言語化できない感情や悩み、ニーズや願望などの理解を深め、一緒にそれらを紐解いたり、ただただ会話をしたり、ハーブやアロマを使用して各々の自然治癒力をサポートしたり、癒しを提供したり、「今の心と身体の状態」を紐解くサポートをさせていただいたり…
他者との調和を大事にしながら、心身健やかに
あなたがあなたらしく軽やかに輝く人生を生きることを、
不安や鬱々とした気持ちが少しでも軽減し前向きな状態へと変化していく、
「軽やかさや心地良さ」感じることのできる日常を送る、
そんなサポートができたら嬉しく思います。
以上、ざっくりですがaiko's story概要でした。
長かった~ヾ(;´▽`A``アセアセ
でもまだまだ書いていない体験も多々あるので気になる方はセッションで!
最後まで読んでくださり感謝いたします。
aiko